健康について
WHOが定義している健康とは、「肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」とありますが、そもそも日本には「健康」という単語はなかった。
江戸時代中期(1713頃)に出版された「養生訓」は貝原益軒が書いたものですが、原文には「健康」という単語は使われていません。(現代語訳にはたくさん使われています)
明治維新後、福沢諭吉が「Health」という単語を「健康」という語に訳しました。日本で「健康」という単語を使い始めたのは天保8年(1837)前後に蘭方医の緒方洪庵が「遠西原病約論」という書物で使っています。
また、洪庵は大阪に私塾を開き福沢諭吉らを育てたようです。この時に「健康」という語を福沢諭吉は知ったのでしょう。なぜ、洪庵は「健康」という語を使ったのか。西洋医学を理解・翻訳する際に、
西洋医学的な診察(解剖学や生理学など事細かく)で完全な身体を表現するのに必要になったようです。客観的な身体状況ですね。WHOの定義の後文「単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」は、診察や検査で調べないと健康かどうか解りませんということです。
逆の言い方をすると、健康でいたいなら診察や検査を受けなさいということ。
何が言いたいのかとういと、「健康」という単語そのものが「健康産業=脅迫産業」に必要なために使われているということです。
そもそも身体状況は主観的なもので、普通に生活ができていればそれで良しです。
敢えて検査など必要なしということ。主観的に具合が悪くなったりして初めて医療が必要になるということ。
まったく、新しい言葉が出ると金儲けに走るというのが、幕末~明治維新後からというのも色々なところと繫がりますね。(既得権益)
ちなみに「Health」の一般的な語源は「heal」で、その定義が「肉体的状態において完全,すなわち正常にすること.疾病等をなくして,健康状態を取り戻すこと.病気や怪我を治すこと」一言で表すと「癒やす」です。さらに遡ると「hal」となり「完全な」を意味するようです。
完全という幻想を抱かせ脅迫産業とも知らずにいる人がどれだけ居るのか。